2000/08/02UP

番外篇

閑話休題その3(プロとは?)

最近、「プロ」ってなんなんだろうと思うことが多くなりました。世間一般ではそれだけで食っていける人のことを「プロ」というのでしょうが、お金をもらって食っていけることが本当に「プロ」なんでしょうか?仕事の内容が「プロ」でなければいけないのではないでしょうか。

助監督としての下積み期間が14年だった二人の監督が知り合いにいます。A監督は基本的演出ミスが多すぎで、そのミスについてそれとなく意見してみたことがありました。返ってきた答えは「それは好みの問題でしょ」でした。好みの問題だったら、わざわざ意見などしません。絶対にやってはいけないことをやっているから、意見したのです。残念ながら彼は自作に対して満足しているようでした。

一方、B監督はとある自作について「あの撮り方は失敗だった」ともらしていました。しかし、彼は基本的演出ミスはなく、A監督の言う「好みの問題」で引っかかっていたのです。

「基本的演出ミス」と「好みの問題」が分かりづらいと思いますので、少し具体的に書くことにしましょう。

A監督の基本的演出ミスの二つをあげます。

主人公が会社に戻りロッカーの前にいると事務の女性が熱いお茶を持ってきます。主人公はお茶を快くを受け取り、近くのテーブルに移動して座って飲むのです。この移動する時に撮影時に湯呑茶碗にお茶が入っていないことがバレバレなのです。絶対にお茶がこぼれてしまう速さで動き、「こぼさないようにしよう」という意識も全く見えないのです。そして、お茶を飲むのも、3回に別けてはいたものの冷えたお茶を飲むようにクイッと飲み、しかも喉を通っていないのが見て分かるのです。これに関してのA監督の言葉は「お茶を入れるとこぼすから、空茶碗を持たせたんだよね」でした。これを聞いて、「この人は演出時に役者の演技がおかしいと思っていなかったんだな」と私は思いました。見る目があれば、おかしいと思うし、おかしいと思えば直すはずです。こんなのは熱いお茶を入れたまま、「こぼさないように移動してください」というだけで簡単に直せるはずです。これは自主映画の多くの監督がやるようなミスです。このようなミスをして、それがミスだとも思わないのは、ただ単に観点が無いだけです。

もう一つは登場人物の感情が極まってきて、客が「その表情を見たい」と思うところになって、ひきのカットになってしまうのです。これは画面と客の対話が分かっていないことによるミスです。これについてのA監督の言葉は「同じようなカット割が続いて単調になりそうだったから、あそこでひいてみた」でした。要は内容を考えていないということです。

B監督の「撮り方の失敗」というのは「長回しでカメラ移動は超スロー」と「フィックス」の多用でした。作品はバイオレンスなのに実は主人公の心情がテーマの作品だったので、彼はおそらくテーマを重視したのでしょう。そのためにバイオレンスな部分が目立たずに地味になり過ぎたのです。タイトルが派手なのに内容が地味で、確かに違和感がありました。

B監督は、監督を目指す人たちに「とにかく現場で下積みをしなさい」と言います。彼自身は下積みでしっかりした演出法を身に付けられた人だからでしょう。しかし、ただ下積みをしても、観点が無ければ意味がないと私は思っています。同じ下積み期間を費やしたA監督の仕事を見れば一目瞭然です。

二人とも映像演出でお金をもらって飯を食っています。世間的に言えば二人とも「プロ」です。しかし、私はA監督を「プロ」とは呼びたくないのです。間違っているでしょうか?

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