2000/06/09UP
間について
間の取れる役者は一人前だと言われる。
アマチュアの劇団の稽古場や自主映画の撮影現場で、演出が「もっと間を取って」と言うとただ時間を空ける人をよく見かける。
間とは単なる時間経過ではない。心の動きを表現する非常に大切なものである。
脚本を読む時には相手役の台詞と自分の台詞を深く研究しなければならない。活字になっている台詞は誰にでも分かる。重要なのは活字以外の台詞が脚本の中にあることだ。行間に「演技の宝」が隠されている。それを掘り出すのである。
例えば、あなたが高校生で、先生が突然あなたに「授業が終わったら、そこの喫茶店に行こう。いいね」と言った時、あなたならどうするか?突然なので困る人、嫌がる人、嬉しくなる人、それぞれ心の中に囁きの声が出てくるはずである。その後に「今日、急ぎますから」とか「はい」の返事が出てくるのである。
その誘いを迷惑に思う人は心の中で『困ったわ。どうしようかしら、嫌だな』と囁いている。それが活字以外の台詞であり、「間」になるのである。顔の表情も心の囁きがそのまま表現されるのである。
先生「授業が終わったら、そこの喫茶店に行こう。いいね」
生徒「今日は急ぎますから・・・」
と脚本に書かれていたなら、初心者は「間」を入れずに台詞を続けてしゃべってしまうだろう。
次に、ただ心の囁きをすればよいわけではない。的確な表現に結びつかなければ意味がない。観客がそれを見て、心の囁きを読み取れる表現にならなければいけない。「心の囁き」を工夫して作って、それを表現レベルまでもっていく。俳優の仕事の一つである。
「間」が的確でないと演出者から「もっと縮めて」「もっと間を取って」とダメを出される。心の囁きを削ったり、増やしたり、新たなものに変えたりして、調節する。必要十分な「間」が取れればテンポのある芝居が出来上がるのである。
最近は、「間」を取らずに間髪入れずに台詞を言うことがテンポに繋がると思っている演出を小劇場で多く見かけるが、音としてのリズムとテンポだけで、心に伝わるもののリズムとテンポが軽視されている。非常に残念なことである。前に書いた「対話」も残念ながら成立しない。まあ、演劇の場合はライブだから許されるのだろうが、映画でそれをやったら酷いだけである。